子ども?学生の成長に大きな影響を与える教師。学校に通う一人ひとりと向き合い、正解のない道を導いていく職業です。この教師を対象に研究を重ねているのが、羽野ゆつ子教授。今回は、その研究内容やその方法、また教師に求められるものなどについて、お話を伺いました。
「教育心理学」とはどのような学問か教えてください。
教育心理学は、心理学の手法を用いて、教育を探究する学問です。子どもを理解しながら、その成長を手助けすることもあります。
私は大学時代に心理学を学び、行動主義の学習観から能動的な学習観へという展開を知り、学習研究に関心を持ちました。その後の滋賀大学大学院で、日本には学校制度ができた明治期以来、実践を創ってきた教師たちの歩みがあることを知り、教師の思考や学習への関心が生まれました。教育学や教育方法学、教育社会学など、教育への多様なアプローチを知るなかで、心理学が研究における自分の立ち位置なのだと感じるようになったのですが、子どもではなく教師の発達や学習の研究をしたいと思い、その研究を続けています。
教育学?教育社会学の研究者と共同研究を続ける中で、教育心理学は、教育という人間が続けてきた複雑な営みについて、「ヒト/人間らしい心のしくみ」からアプローチできるところが面白いなと感じています。
「教師」に対して、なぜ強い関心を持たれているのですか?
研究を通して、実際に教師の方とお話ししてみると、日頃から学校や授業のこと、社会のことを考え、子どもたちと向き合おうとされています。そんな姿に「教師」は、なんて素晴らしい仕事なのだと思いました。義務教育のため誰しもが必ず通る場所である学校という場所を担っているのが教師たちなんですよね。教育心理学では、子どもの発達や学習に関する研究がたくさん行われています。それは子ども理解を深める大事な知見です。でも、教師は授業の内外で子どもや教育について自ら考え準備しています。そこで私は、教師がどのように学び成長していくのか研究し、大学での教育につなげて、私も実践者として、教育という営みを支えていきたいと考えました。教師の成長を支えていくことが、学校をより良くすることにもつながるのではないかと思っています。
羽野先生が思う、教師の魅力とはどういったところでしょうか?
「教育」は、子ども?学生と一緒に創っていく営みだと思っています。ゴールを決めてそこに一直線に向かうため、教師が子どもを制御するのではなく、あるいは教師が「正しい」と考える知識を、子どもにただ習得させるのではなく、時間を掛けながら、相手の声を聴いて相手のことを考えながら一緒に創っていく。それは不確実な、だからこそ生成的でもあります。
探究型授業を実践されている、ある学校の先生は、「一年に何回、子どもたちとカンパイできるか」と仰いました。みんなで何かをやり遂げたときに、みんなで歓ぶ「歓杯(カンパイ)」が一年に何回できるかだと。集団で学ぶ教育の醍醐味を表す言葉だと思いました。
教育は、出会う子ども?学習材によって生まれてくるものが違う「一回性」という特質を持つものです。生きた活動であり、その中で子どもが世界をアプリシエートする瞬間が生まれ、物語になっていくことがあります。だから面白い。そして、それが連続して、あるいは何度かできる年もあるし、一つもできない年もあると思います。だから難しい。
また、制度や組織によっては、そういった教育を実現することが難しいことがあります。一方では、同じ制度のもとで実践しているところもある。だから、その違いを文化という視点でとらえ、「教育」をより深めていきたいと思っています。
現在は、「探究型授業」に注目して、研究されているとお聞きしました。
1998年ころに「総合的な学習の時間」というものが、教育課程の中に創設されました。それが現在の「探究型授業」となるわけですが、これをきっかけに、子どもたちは主体的に学ぶことになるだろうと思いました。また、「探究型授業」は教師同士、そして地域社会との連携も大事になるので、学校づくり、コミュニティづくりにもつながると思いました。しかし、教師の方々は新設された授業をどのように進めていくのだろう、と疑問に感じたのです。そのことをきっかけに現在は、子どもと共に取り組む探究型授業を実践する教師の「わざ」と「わざ」に込められている教師の子ども観や教育観を吟味?研究しています。
探究型授業の普及は国際的な教育課題です。ですが、探究型授業を実践しようとすると、元々あるカリキュラムに沿って教える授業とまったく異なるため、教師は身につけてきた教育課程や学習活動の原理的な枠組みを再編成せざるをえません。それにも関わらず、教師たちは、同僚や子どもと共同して探究型授業を継承し実践しています。研究では、探究型授業を継承し実践している教師たちの実践的知恵にはどのような特徴があり、その知をどのように獲得し伝承しているのかを検討しています。
子どもを教え、導くために、教師には何が求められるのでしょうか?
教師には、学習する環境をデザインすること、学習のタイミングが熟すのを待って働き掛けること、そのために子どもの学びに耳を澄ますこと、子どもがすごい?面白いと感じるものとの出会いを見極める判断力と構想力、子どもたちの間に心理的安全性が感じられる関係づくり、カリキュラムなど学校制度との対照などなど、多くのことが求められます。しかし、それらを考えながら実践をされていることには驚きますし、関心は尽きません。
子ども主体の学習や子どもと共に創る探究型授業においては、教師が教えていないように見えるかもしれませんが、強烈に教えているところもあります。
例えば、フランスの哲学者であるジャック?ランシエールは著書の『無知な教師』の中で、自分が習得していない言語を話す生徒にフランス語を学習させる大学講師?ジャコトの実践を紹介しています。ジャコトは、その言語を直接教授することはできません。そこでフランス語を学ぶための原著と翻訳本をテキストとして学習者に渡します。ジャコトは、彼らを自分たちの力で学ぶという状況に誘ったということにおいて、教えていると思うのです。
加えて、教師にとっては、授業?学習指導を中心とした温かな同僚性は大事だと思います。教師の方々は、それぞれ担当するクラスを持ったり、中学?高校では教科別になるなど、それぞれが個別で仕事をして、あまりお互いのことに関わり合わないと思われているかもしれません。しかし、授業について相談したり、学校について率直に話したりできる関係性が大切だと感じています。
教師には授業以外にもいくつもの難しいことが求められていますから、全てを完璧にこなすことはスーパーマンでないとできないでしょう。お互いに評価の眼差しで見合うのではなく、NVC(非暴力のコミュニケーション)で、チームで力量を高めていく。そのことは、教師自身をケアしてくれるのではないかと思います。
実際そういう学校は増えてきているようです。一方で、所属する学校の心理的安全性(温かな同僚性)は、時として現状維持になって、組織や教育を停滞させる可能性もあります。居心地のいい空間を出て、挑戦してゆくこと、児童や生徒と出会いながら、その現場を離れて学び、「あたりまえ」(盲点)を問い直して、学びの場に還元してゆくこと。そのためには教師自身にも研究マインドが大事で、教師が高度専門職といわれてる所以なのだと思います。
子どもが成長するためには、何が必要となるのでしょうか?
メンターやロールモデルとなる?との出会いは、一つの重要なことだと考えています。
ある種の威光のようなものを感じる人との出会いは、自分が変わる機会になると考えています。なりたい自分が明確になると、やってみようと勇気づけられていく。そうして取り組んでいくと、学びは遊びに近づいていく。もちろん、自分の置かれている状況によっては、やりたくてもすぐにできないことや、うまくいかないこともあるでしょう。そんなときは、誰もが簡単に実現できているわけではないと思うので、モデルになる人の人生や実践の歩みを知ることが励みになると思います。
成長のためにメンターやロールモデルとの出会いを求め動くことは、子どもだけでなく教師にも共通することです。学校の教師の場合、学校内の他の教師の授業風景を見学する研修が多くありますが、学外やいろいろと異なるフィールドへ学びに行っている教師の方が教育をアップデートされていると感じるので私も見倣おうと思っています。
子どもも教師もさまざまなことに興味を持ち、実際に現場に出かけてみる。そのことがメンターやロールモデルと出会うこと、そして成長のきっかけにもなると思います。
大阪成蹊大学教育学部にはどのような学生が多いですか?
教育学部には、子どもが好きな学生が多いと思います。私が大学生の時はまだまだ自分のことで精一杯でしたし、大学生はまだまだ育てられる側の存在であっていい時期でもあります。そんな時期に、自分以外の子ども(他者)を思うことができて、育てる側にも立とうと努力していて、すごいと感心します。
そういった学生の成長を支えるために、教育学部では現場での体験や実習が多いカリキュラムが組まれているのだと感じています。また実習以外にも、体験活動やボランティア活動もあるのが特徴です。さまざまな現場で多くの人と出会い、学ぶ。そして大学で仲間や教師と実践を語り合う中で、解決策を提案する前に、実践や理論に対してクリティカルな問いを投げかけ、教育観を見つめ直していく。実践と研究を往還することで、学生たちの実践知となっていくのだと思います。
最後に、教育に関心を持つ学生にメッセージをお願いします。
教職課程を履修するという方も、教育研究をしている方も、教育というものにどこか期待している部分があるのだと思います。
教育は、学校という制度ができる前から地球上で連綿と続けられてきて、これからも続く生の営みです。この営みは、生物としてのヒトや社会的な存在としての人間を理解すること、さらには政治、経済、文化を考えながら積み重ねられてきた軌跡だと思います。次の一歩を拓いていく仲間が増えたら嬉しいです。
また、教師はこれからの学校や子どもを支えていく存在です。だからこそ尊いものだと思います。私自身は、教師の方々が研究し実践していける、そういう環境をつくっていくことをサポートできたらと考えています。